#今回レバレッジメモのため、2回目読了。
#どのような「思い」を持って生きるかが大事。
#自分の環境も人生も自分の思いが原因となって、結果として表れたもの。
「原因」と「結果」の法則 ジェームズ・アレン 著 坂本貢一 訳 2003年4月25日初版発行
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・人は誰も、内側で考えているとおりの人間である
・植物は種から芽生えます。それは、種なくしてはあらわれることができません。そして、私たちも行いもまた、内側で密かにめぐらされる思いという種から芽生えます。
・心の中の思いが、私たちを創っている。私たちは、自分の思いによって創り上げられている。私たちの心が邪悪な思いで満ちているとき、私たちには、いつも痛みがつきまとう。もし、私たちが清い思いばかりをめぐらしたなら、私たちには喜びばかりがつきまとう。
・私たちは、自分自身の思いによって、自分をすばらしい人間に創り上げることもできれば、破壊してしまうこともできます。
・正しい思いを選んでめぐらし続けることで、私たちは気高い、崇高な人間へと上昇することができます。と同時に、誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、獣のような人間へと落下することもできるのです。
・人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である。
・人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。
・もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。
・優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育み続けます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植え付け、それを育み続けなくてはなりません。
・もしあなたがその作業を続けたならば、やがて必ず「自分は自分の心の園芸主任であり、自分の人生の総責任者であるという事実に気づくことになります。
・私たちは、自分を環境の産物だと信じている限り、環境によって打ちのめされる運命にあります。しかし、「自分は創造のパワーそのものであり、環境を育むための土壌と種(心と思い)を自由に管理できる」ということを認識したときから、自分自身の賢い主人として生きられるようになります。
・心の中に蒔かれた(あるいは、そこに落下して根付くことを許された)思いという種のすべてが、それ自身と同種のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます。
・人々が刑務所に入ったり貧困に苦しんだりするのは、過酷な運命や環境のせいなどではけっしてありません。かれらがそうなるのは、ひとえに、かれら自身の不純な思いと利己的な願望のせいなのです。
・私たちの運命を決定する神は、私たち自身の内側にいます。私たちの思いこそがそれなのです。
・人々の多くは、環境を改善することには、とても意欲的ですが、自分自身を改善することには、ひどく消極的です。
・自分自身を改善するということは、真の意味での自己犠牲を払うということにほかなりません。真の自己犠牲とは、心の中からあらゆる悪いものを取り払い、そこを良いものだけで満たそうとする作業です。
・たとえ富の獲得だけを目指している人間でも、その目標を達成するためには、大きな自己犠牲を払わなくてはなりません。
・ここに、悲しいまでに貧しい男がいます。彼は、自分のあらゆる環境が改善されることを願っています。しかし彼は、報酬が少ないということを理由に、仕事をさぼること、つまり、自分の雇い主をだますことを選んでいます。彼は、真の豊かさを築くための原則を何ひとつ理解していません。彼は、貧困からはい上がるにまったく値しないばかりか、怠け心、ずるい思い、卑屈な考えにふけり、それに従って行動することで、より深刻な貧しさを自分自身に引き寄せつつあります。
・ここに、暴飲暴食の結果として深刻な慢性病を患っている、裕福な男がいます。彼は、健康を取り戻すことにはとても意欲的で、そのために莫大なお金をつぎ込んでいます。しかし、自分の欲望は何ひとつ犠牲にしようとはしていません。異常な食欲を満たしたいと願う一方で、健康も手にしたいと願っているのです。言うまでもなく、彼は健康を手にするに値しない人間です。健康にいきるための第一の原則を全く学んでいないからです。
・ここに、自分自身の繁栄を願い、従業員に払うべき賃金を不当に削っている雇い主がいます。しかし、そんな人間は、まったくもって繁栄するに値しません。彼は、自分の会社が破産したり信用を落としたりすると、自分がその一番の責任者であるにも関わらず、それをすべて従業員や環境のせいにする、というタイプの人間です。
・ここで例を紹介したのは、「私たちの環境を創っているのは、私たち自身である」ということに加えて、「私たちは、良い結果に狙いを定めながらも、その結果と調和しない思いをめぐらすことによって、その達成を自ら妨害し続ける傾向にある」という真実を指摘したかったからです。
・「あまりにも善人すぎると、苦悩が絶えない」などという迷信を受け入れることは、自分自身を改善する努力を放棄したい人にとっては、好都合なことかもしれません。
・良い思いや行いはけっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いはけっして良い結果を発生させません。これは、トウモロコシからはトウモロコシ以外のものは決して成長しないこと、あるいは、イラクサからはイラクサ以外のものはけっして成長しないことと同じくらい明らかなことです。この法則が自然界の中で機能していることは、誰もが知っています。でも、それが個人の人生のなかでもまったく同じように機能しているという事実を認識している人は、とても少数です。
・苦悩の最大の、そしておそらく唯一の役割は、無益で不純なあらゆるものを浄化すること、あるいは焼き払うことです。完璧に清らかな人間には、苦悩はけっして訪れません。
・私たちに苦悩をもたらす環境は、私たち自身の精神的混乱の結果です。私たちに喜びをもたらす環境は、私たち自身の精神的調和の結果です。喜びは正しい思いの結果であり、苦悩は誤った思いの結果なのです。
・私たちは、愚痴を言ったり罵ったりすることをやめ、自分の人生を調整している「隠れた正義」の存在を認識し、それに自分の心を従わせ始めたときから、真の人間として生き始めます。そのときから私たちは、自分の環境の悪さを他の人たちのせいにすることをやめ、強く気高い思いをめぐらすことに努めつつ、自分自身を強化しはじめます。環境と戦うことをやめ、それを、自分のより急速な進歩のために、また、自分の隠れた能力や可能性を発見するための場所として、有効に利用しはじめます。
・私たちの多くは、自分が密かにめぐらし続けている思いを、隠し通せるものだと信じ込んでいます。しかしながら、そんなことは到底不可能なことです。それはまず生き方として、つづいて環境として、その姿を明確にあらわすことになるからです。
・動物的な思いは、自制の利かない肉欲的な生き方として、つづいて貧しさや病気に満ちた環境として姿をあらわします。あらゆる種類の汚れた思いが、活力を欠いた、混乱した生き方として、つづいて苦難に満ちた、不愉快な環境として、姿をあらわします。
・気高い思いは、自制の利いた穏やかな生き方として、つづいて平和に満ちた静かな環境として姿をあらわします。清らかな思いは、そのすべてが慈愛と思いやりに満ちた生き方として、つづいて明るい快適な環境として姿をあらわします。
・勇気と信念に満ちた思いは、速やかに決断し、行動する生き方として、つづいて自由と成功と豊かさに満ちた環境として姿をあらわします。活気にあふれた思いは、前向きで積極的な生き方として、つづいて喜びに満ちあふれた環境として姿をあらわします。
・好意的で寛容な思いは、優しさにあふれた生き方として、つづいて安全と安心に満ちた環境として姿をあらわします。愛に満ちた思いは、人々に奉仕する生き方として、つづいて永続的な繁栄と真の富に満ちた環境として姿をあらわします。
・私たちは、自分の環境を直接はコントロールできないかもしれません。でも、自分の思いは完璧にコントロールできます。よって、私たちは間接的に、しかし明らかに、自分の環境をコントロールすることができます。
・宇宙は、私たちがめぐらす思いの具現化を、つねに援助してくれています。
・もし私たちが、意地悪な思いを捨て去ったなら、そのときから世界中が私たちに優しく接し、私たちを援助しようとし始めることになります。
・もし、私たちが正しい思いのみをめぐらしつづけたならば、たとえいかなる不運であっても、私たちに悲しみや辱めを与えることはできなくなります。
・病気と健康は、環境同様、心の中でめぐらされる思いの明らかなあらわれです。
・あらゆる種類の不安が肉体を混乱させ、混乱した肉体は、病気に対して無防備です。
・心の中で繰り返しめぐらされている思いは、それが良いものでも悪いものでも、その内容に応じた結果を、肉体内で確実に発生させているのです。
・いくら食生活を改善しても、自分の心を改めようとしない人間には、ほとんど効果がありません。しかしながら、つねに清らかな思いをめぐらせるようになったとき、人間はもはや、病原菌を気遣う必要さえなくなります。そのときから人間は、とても自然に体に悪い物を好まなくもなります。
・もしあなたが自分の肉体を完璧な状態にしたいのなら、自分の心を守ることです。肉体を再生したいのなら、心を美しくすることです。悪意、羨望、怒り、不安、失望は、肉体から健康と美しさを奪い去ります。憂鬱な顔は偶然の産物ではありません。それは憂鬱な心によって創られます。
・楽しい思いは、どんな医師よりも上手に、肉体から病気を一掃します。
・悪意、皮肉、疑い、羨望などで心を満たし続けているとき、人間は、みずから創りあげた牢獄の中に、自らを閉じこめているようなものです。
・つねに愛に満ちた思いをめぐらしながら、あらゆる人に好意を抱き、あらゆる人と楽しく接し、忍耐をもってあらゆる人の中に良いものを探し続けることは、天国への王道です。
・目標をもたないために人生の海原を漂流している人たちが、驚くほどたくさんいます。目標をもたないことの弊害は、あまりにも大きいと言わざるを得ません。人生の中での漂流は、誰にとっても、もしそのなかで遭難したくないならば、絶対にやめなくてはならないことです。
・もし人生の漂流者となりたくないのなら、自分自身の思いを、みずからの手で設定したその目標に集中して向け続ける必要があります。
・自分の思いを、はかない夢物語やあこがれ、妄想などの上に漂わせたりするのではなく、その目標に集中して向け、意欲的に達成すべきです。それによって私たちは、集中力と自分をコントロールする能力を磨くことにもなります。そして、自分をコントロールする能力を磨くことこそが、自分を強化する最善の策なのです。
・たとえ、その目標の達成に繰り返し失敗したとしても(弱さが克服されるまでは、それが必然です)、それを通じて身につけることのできる心の強さは、真の成功の確かな礎として機能することになります。
・大きな目標を発見できないでいる人は、とりあえず、目の前にある自分がやるべきことに、自分の思いを集中して向けるべきです。そうやって、目の前にあるやるべきことを完璧にやり遂げるよう努力することで、集中力と自己コントロール能力は確実に磨かれます。それらの能力が十分に磨きあげられたとき、達成が不可能なものは何ひとつなくなります。まもなく、とても自然に、より大きな目標が見えてくるはずです。
・虚弱な肉体を持つ人間が、それを忍耐強いトレーニングによって強化できるように、虚弱な心を持つ人間も、それを、正しく力強い思いを意識的にめぐらし続けることによって強化できるのです。
・人間を目標に向かわせるパワーは、「自分はそれを達成できる」という信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です。
・公正な秩序が保たれているこの宇宙内では、いかなる調和の欠如も破壊につながります。
・私たちは、自分の心を高めることによってのみ上昇し、克服し、達成します。そして、その努力を怠ることによってのみ、弱さ、絶望、苦悩の中に留まり続けるのです。
・自分の欲望を優先させる人間は、明晰な思いもめぐらせず、秩序だった計画も立てられません。自分の真の能力を発見することも開発することもできず、何を試みても失敗するでしょう。
・私たちは、犠牲を払うことなくしては、いかなる進歩も成功も望めません。私たちの成功は、私たちがその達成をどれだけ強く決意し、その計画の上にいかに強く心を固定するかに加えて、自分の欲望をどれだけ犠牲にできるかにかかっています。
・宇宙は、たとえ表面的にはどのように見えようと、貪欲な人間、不正直な人間、不道徳な人間をけっして援助することがありません。宇宙は、慎み深い人間、正直な人間、清らかな人間のみを支え、援助するのです。
・成功を手にできないでいる人たちは、自分の欲望を全く犠牲にしていない人たちです。人間は、もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません。
・気高い理想を掲げ、そのビジョンを見続けている人間は、いつの日にか、それを現実のものにします。
・理想を抱くことです。そのビジョンを見続けることです。あなたの心を最高にワクワクさせるもの、あなたの心に美しく響くもの、あなたが心から愛すことのできるものを、しっかりと胸に抱くことです。その中から、あらゆる喜びに満ちた状況、あらゆる天国のような環境が生まれてきます。
・富を築き上げた人、知性にあふれた人、神のような人格を備えて大きな影響力を手にしている人たちを見て、彼らは言います。 あの人は、なんて幸運なんだろう! なんて恵まれているんだろう! なんて良い巡り合わせにあるんだろう! かれらは、それらの運の良い人たちが、よりよい人生を夢見て流し続けてきた「血と汗と涙」の部分にはけっして目を向けません。それらの人たちは、強い信念を維持し、数々の犠牲を払い、粘り強い努力を続けてきた人たちなのです。
・人間が達成するあらゆる成功が努力の結果です。そして、努力の大きさによって結果の大小が決定します。そこにはいかなる偶然も介在しません。物質的、知的、精神的達成のすべてが、努力の果実なのです。それらは、成就した思いであり、達成された目標であり、現実化されたビジョンです。
・人間は、穏やかになればなるほど、より大きな成功、より大きな影響力、より大きな権威を手にできます。なぜならば、人々はつねに、冷静で穏やかに振る舞う人間との関わりを好むものであるからです。
・この上なく穏やかな心は、この上なく強い心です。穏やかな心の持ち主は、つねに愛され敬われます。彼は、まるで灼熱の大地に立つ日除けの大木のようです。あるいは、嵐を遮ってくれる巨大な岩のようです。そんな人間を愛さない人間がどこにいるでしょう。彼は、雨が降ろうと晴れようと、あるいはその他のいかなる変化に直面しようと、そんなことと無関係に、つねに柔和であり、静かであり、穏やかです。
・人類は、心のコントロールを怠ることで自分の人生と幸せを破壊することを、いったい、いつになったらやめるのでしょう。バランスのとれた人格を手にしている人たち、その属性である穏やかさを所持している人たちの、なんと少ないことでしょう。
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