同級生が霊界に旅立った。48歳だった。
奥様が知り合いだったひとたちにメッセージで送ってくれたためわかった。
緊急入院した当日もTwitterに書き込みがあり、Facebookには前日までの投稿があった。
突然の出来事だったということがわかる。
本当にいつ人生最後の日が来るかわからない。
なくなった彼との思い出は小学5年までと、数年前にSNSで連絡が取り合えるようになってネットで何回かやり取りしたのと一度地元に来てくれて恩師と同級生と一度会ったことだ。
また会って話もできるかと思っていたが、はかなくも実現不能となった。
小学生の時は学校が終わって遊ぶ仲でもなかったので親しいわけではなかったが、彼は特別な存在だった。
転校するまで学級委員、スポーツ万能、テストは100点でみんなから天才と言われ、同級生の中で東大に行くなら彼しかいないとも言われていた。
いつか目の周りをタヌキみたいに青あざを作ってどうしたかと聞くと地元の野球チームで練習中のメンバーが素振りをしてたバットに当たったとか言っていた。
クラスメイトのあだ名を付けるのも得意で、おかっぱの女の子には、カッパ。
ボンボコバカハシ脳天ゴリラとかあとからその話題を振った時には酷いこと言ってしまって、もうしわけなかったと反省していた。
性格もヒョウキンでクラスでも人気があり、とにかく目立つ存在だった。
彼が引っ越す前になぜか私に子供会の会長を引き受けてくれと言われて、やったこともあったし、彼のあと5年の3学期に学級委員もやった。
そんな縁もあってか特別に記憶に残っている
Facebookで日頃の様子が伺え、大人になっても子供の頃の積極性は相変わらず、イベントをやったり居住地深川の映画をプロデュースしたり、活動的にやりたいことを楽しく、奥様とも一緒に楽しく過ごしていたようだ。
ただ、仕事柄社会問題を扱って相当精神的にも病んでいたようで、表では笑い話にしていた。ひとの気遣いを大切にするいいやつだったとあらためて思う。
奥様の見えないサポートもあったんだろうと推測される。
あらためてもう話すこともできないと思うと寂しい。
あまりにもあっけなくお別れとなってしまった。
会いたいと思ったらすぐ行動に移すべきですね。
人生の終わりはいつかはわからない。
後悔した時はすでに遅い。
楽しかった思い出をありがとう。
また会う日まで。
2017/07/24
2017/07/14
#トラベラーズノート と #万年筆
A6サイズのトラベラーズノートと万年筆が入ったつくしペンケースが会社に持っていく定番
つくしペンケースは3つ持っており、全て万年筆で気分によって入れ替える
トラベラーズノートカバーの中身は手帳とアピカのノート
昼休みには、母艦であるトラベラーズノートカバーからA6ノートを取り出し、つくしペンケースからも万年筆を1本か2本を取り出して持っていく
アピカのノートは万年筆のインクが裏抜けしないのでお気に入り
万年筆ではプラチナのものが一番多い
プラチナのミュージックは縦が太く横が細い字が書ける
プラチナのブルーブラックがインクの濃淡が出て、書くのが楽しい
万年筆自体の書き味が楽しいのでハマっているわけではあるが・・・
まだまだこんな生活は続きそう
プラチナ万年筆(株)
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