# ポメラ DM5 を使いながら、活用方法について思いついた時に打ったメモ。
2014/08/31 20:16
ポメラDM5、使うの楽しい。
今は日付メモで日記みたいなことを書いたり、読後のレバレッジ・メモを書いたりして使っている。
これから、ひらめいたアイデアとか、書き留められたらいいな。何でもないことを書くのもいい。
何か目的を決めてかかないと何も結実しないかもしれない。
とにかくまあメモ帳として何か書くのはノートにして、スピードにまかせて打ち出すのはこれ。
この液晶画面で一番小さい文字はまるでPalmを見ているようだ。
使っていた頃を思い出す。
Palmもよい製品だった。使っていて楽しかった。小さな画面を見るのもまったく苦にならなかった。
スマホの影響ですぐにSNSを見て、集中力がなくなっているという本を見てそのとおりだと思った。
だから、テキスト入力しかできないこのポメラは気が散ることなく入力だけに集中できる素晴らしい道具だ。
便利すぎると大事なことを見失う。
2014/09/01 20:37
DM5を開いたときに、カーソルが常に一番上に来るからメモを付け足していくのは、上にすればいい。
下に過去の記事がたまっていくことになる。
ブログにはDM5の買ったときの投稿などが多いが、具体的に活用しているシーンのものがあまりない。
活用方法を見つけて残していこう。
2014/09/02 19:53
トラベラーズノートを買ったときに付いてきた麻布のような袋がポメラにちょうどいい。
出すときもスルっと滑らせて出しやすくていい。薄いからカバンに入れるのにかさばらない。
このDM5を活用しながら、面白い使い方をブログに紹介しよう。本を書けるくらいになれるといい。
2014/09/13 20:24
2週間以上使ってきて、この画面の大きさもちょうどよく感じてきた。
考えてみれば、常に目の前の真ん中付近に文字がある方が打つには勝手がいい。
見ることが主であれば、画面は大きい方がいい。打つマシンであるポメラはこの画面が最適なのかもしれない。
起動も2秒と速く、なにより畳めてコンパクトで持ち運びが苦にならない。
残念ながらモバギは、これらに優位性がないので、もう使わないだろう。このポメラが壊れない限りは。
さっきモバギの電池を主副ともに抜いた。
2014/09/29 00:03
電池切れの警告が3回くらい出たがまだ交換はしていない。
eneloopは買ってあるから準備は万端。
電源を閉じて置くと電池が2つに復活している。1つになるとメッセージが出る。まだ当分使えるか。
2014/09/30
2014/09/29
2014/09/27
ジェームズ・アレン 「原因」と「結果」の法則 #レバレッジメモ
#薄い本だが、内容が濃い本。
#今回レバレッジメモのため、2回目読了。
#どのような「思い」を持って生きるかが大事。
#自分の環境も人生も自分の思いが原因となって、結果として表れたもの。
「原因」と「結果」の法則 ジェームズ・アレン 著 坂本貢一 訳 2003年4月25日初版発行
・人は誰も、内側で考えているとおりの人間である
・植物は種から芽生えます。それは、種なくしてはあらわれることができません。そして、私たちも行いもまた、内側で密かにめぐらされる思いという種から芽生えます。
・心の中の思いが、私たちを創っている。私たちは、自分の思いによって創り上げられている。私たちの心が邪悪な思いで満ちているとき、私たちには、いつも痛みがつきまとう。もし、私たちが清い思いばかりをめぐらしたなら、私たちには喜びばかりがつきまとう。
・私たちは、自分自身の思いによって、自分をすばらしい人間に創り上げることもできれば、破壊してしまうこともできます。
・正しい思いを選んでめぐらし続けることで、私たちは気高い、崇高な人間へと上昇することができます。と同時に、誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、獣のような人間へと落下することもできるのです。
・人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である。
・人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。
・もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。
・優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育み続けます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植え付け、それを育み続けなくてはなりません。
・もしあなたがその作業を続けたならば、やがて必ず「自分は自分の心の園芸主任であり、自分の人生の総責任者であるという事実に気づくことになります。
・私たちは、自分を環境の産物だと信じている限り、環境によって打ちのめされる運命にあります。しかし、「自分は創造のパワーそのものであり、環境を育むための土壌と種(心と思い)を自由に管理できる」ということを認識したときから、自分自身の賢い主人として生きられるようになります。
・心の中に蒔かれた(あるいは、そこに落下して根付くことを許された)思いという種のすべてが、それ自身と同種のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます。
・人々が刑務所に入ったり貧困に苦しんだりするのは、過酷な運命や環境のせいなどではけっしてありません。かれらがそうなるのは、ひとえに、かれら自身の不純な思いと利己的な願望のせいなのです。
・私たちの運命を決定する神は、私たち自身の内側にいます。私たちの思いこそがそれなのです。
・人々の多くは、環境を改善することには、とても意欲的ですが、自分自身を改善することには、ひどく消極的です。
・自分自身を改善するということは、真の意味での自己犠牲を払うということにほかなりません。真の自己犠牲とは、心の中からあらゆる悪いものを取り払い、そこを良いものだけで満たそうとする作業です。
・たとえ富の獲得だけを目指している人間でも、その目標を達成するためには、大きな自己犠牲を払わなくてはなりません。
・ここに、悲しいまでに貧しい男がいます。彼は、自分のあらゆる環境が改善されることを願っています。しかし彼は、報酬が少ないということを理由に、仕事をさぼること、つまり、自分の雇い主をだますことを選んでいます。彼は、真の豊かさを築くための原則を何ひとつ理解していません。彼は、貧困からはい上がるにまったく値しないばかりか、怠け心、ずるい思い、卑屈な考えにふけり、それに従って行動することで、より深刻な貧しさを自分自身に引き寄せつつあります。
・ここに、暴飲暴食の結果として深刻な慢性病を患っている、裕福な男がいます。彼は、健康を取り戻すことにはとても意欲的で、そのために莫大なお金をつぎ込んでいます。しかし、自分の欲望は何ひとつ犠牲にしようとはしていません。異常な食欲を満たしたいと願う一方で、健康も手にしたいと願っているのです。言うまでもなく、彼は健康を手にするに値しない人間です。健康にいきるための第一の原則を全く学んでいないからです。
・ここに、自分自身の繁栄を願い、従業員に払うべき賃金を不当に削っている雇い主がいます。しかし、そんな人間は、まったくもって繁栄するに値しません。彼は、自分の会社が破産したり信用を落としたりすると、自分がその一番の責任者であるにも関わらず、それをすべて従業員や環境のせいにする、というタイプの人間です。
・ここで例を紹介したのは、「私たちの環境を創っているのは、私たち自身である」ということに加えて、「私たちは、良い結果に狙いを定めながらも、その結果と調和しない思いをめぐらすことによって、その達成を自ら妨害し続ける傾向にある」という真実を指摘したかったからです。
・「あまりにも善人すぎると、苦悩が絶えない」などという迷信を受け入れることは、自分自身を改善する努力を放棄したい人にとっては、好都合なことかもしれません。
・良い思いや行いはけっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いはけっして良い結果を発生させません。これは、トウモロコシからはトウモロコシ以外のものは決して成長しないこと、あるいは、イラクサからはイラクサ以外のものはけっして成長しないことと同じくらい明らかなことです。この法則が自然界の中で機能していることは、誰もが知っています。でも、それが個人の人生のなかでもまったく同じように機能しているという事実を認識している人は、とても少数です。
・苦悩の最大の、そしておそらく唯一の役割は、無益で不純なあらゆるものを浄化すること、あるいは焼き払うことです。完璧に清らかな人間には、苦悩はけっして訪れません。
・私たちに苦悩をもたらす環境は、私たち自身の精神的混乱の結果です。私たちに喜びをもたらす環境は、私たち自身の精神的調和の結果です。喜びは正しい思いの結果であり、苦悩は誤った思いの結果なのです。
・私たちは、愚痴を言ったり罵ったりすることをやめ、自分の人生を調整している「隠れた正義」の存在を認識し、それに自分の心を従わせ始めたときから、真の人間として生き始めます。そのときから私たちは、自分の環境の悪さを他の人たちのせいにすることをやめ、強く気高い思いをめぐらすことに努めつつ、自分自身を強化しはじめます。環境と戦うことをやめ、それを、自分のより急速な進歩のために、また、自分の隠れた能力や可能性を発見するための場所として、有効に利用しはじめます。
・私たちの多くは、自分が密かにめぐらし続けている思いを、隠し通せるものだと信じ込んでいます。しかしながら、そんなことは到底不可能なことです。それはまず生き方として、つづいて環境として、その姿を明確にあらわすことになるからです。
・動物的な思いは、自制の利かない肉欲的な生き方として、つづいて貧しさや病気に満ちた環境として姿をあらわします。あらゆる種類の汚れた思いが、活力を欠いた、混乱した生き方として、つづいて苦難に満ちた、不愉快な環境として、姿をあらわします。
・気高い思いは、自制の利いた穏やかな生き方として、つづいて平和に満ちた静かな環境として姿をあらわします。清らかな思いは、そのすべてが慈愛と思いやりに満ちた生き方として、つづいて明るい快適な環境として姿をあらわします。
・勇気と信念に満ちた思いは、速やかに決断し、行動する生き方として、つづいて自由と成功と豊かさに満ちた環境として姿をあらわします。活気にあふれた思いは、前向きで積極的な生き方として、つづいて喜びに満ちあふれた環境として姿をあらわします。
・好意的で寛容な思いは、優しさにあふれた生き方として、つづいて安全と安心に満ちた環境として姿をあらわします。愛に満ちた思いは、人々に奉仕する生き方として、つづいて永続的な繁栄と真の富に満ちた環境として姿をあらわします。
・私たちは、自分の環境を直接はコントロールできないかもしれません。でも、自分の思いは完璧にコントロールできます。よって、私たちは間接的に、しかし明らかに、自分の環境をコントロールすることができます。
・宇宙は、私たちがめぐらす思いの具現化を、つねに援助してくれています。
・もし私たちが、意地悪な思いを捨て去ったなら、そのときから世界中が私たちに優しく接し、私たちを援助しようとし始めることになります。
・もし、私たちが正しい思いのみをめぐらしつづけたならば、たとえいかなる不運であっても、私たちに悲しみや辱めを与えることはできなくなります。
・病気と健康は、環境同様、心の中でめぐらされる思いの明らかなあらわれです。
・あらゆる種類の不安が肉体を混乱させ、混乱した肉体は、病気に対して無防備です。
・心の中で繰り返しめぐらされている思いは、それが良いものでも悪いものでも、その内容に応じた結果を、肉体内で確実に発生させているのです。
・いくら食生活を改善しても、自分の心を改めようとしない人間には、ほとんど効果がありません。しかしながら、つねに清らかな思いをめぐらせるようになったとき、人間はもはや、病原菌を気遣う必要さえなくなります。そのときから人間は、とても自然に体に悪い物を好まなくもなります。
・もしあなたが自分の肉体を完璧な状態にしたいのなら、自分の心を守ることです。肉体を再生したいのなら、心を美しくすることです。悪意、羨望、怒り、不安、失望は、肉体から健康と美しさを奪い去ります。憂鬱な顔は偶然の産物ではありません。それは憂鬱な心によって創られます。
・楽しい思いは、どんな医師よりも上手に、肉体から病気を一掃します。
・悪意、皮肉、疑い、羨望などで心を満たし続けているとき、人間は、みずから創りあげた牢獄の中に、自らを閉じこめているようなものです。
・つねに愛に満ちた思いをめぐらしながら、あらゆる人に好意を抱き、あらゆる人と楽しく接し、忍耐をもってあらゆる人の中に良いものを探し続けることは、天国への王道です。
・目標をもたないために人生の海原を漂流している人たちが、驚くほどたくさんいます。目標をもたないことの弊害は、あまりにも大きいと言わざるを得ません。人生の中での漂流は、誰にとっても、もしそのなかで遭難したくないならば、絶対にやめなくてはならないことです。
・もし人生の漂流者となりたくないのなら、自分自身の思いを、みずからの手で設定したその目標に集中して向け続ける必要があります。
・自分の思いを、はかない夢物語やあこがれ、妄想などの上に漂わせたりするのではなく、その目標に集中して向け、意欲的に達成すべきです。それによって私たちは、集中力と自分をコントロールする能力を磨くことにもなります。そして、自分をコントロールする能力を磨くことこそが、自分を強化する最善の策なのです。
・たとえ、その目標の達成に繰り返し失敗したとしても(弱さが克服されるまでは、それが必然です)、それを通じて身につけることのできる心の強さは、真の成功の確かな礎として機能することになります。
・大きな目標を発見できないでいる人は、とりあえず、目の前にある自分がやるべきことに、自分の思いを集中して向けるべきです。そうやって、目の前にあるやるべきことを完璧にやり遂げるよう努力することで、集中力と自己コントロール能力は確実に磨かれます。それらの能力が十分に磨きあげられたとき、達成が不可能なものは何ひとつなくなります。まもなく、とても自然に、より大きな目標が見えてくるはずです。
・虚弱な肉体を持つ人間が、それを忍耐強いトレーニングによって強化できるように、虚弱な心を持つ人間も、それを、正しく力強い思いを意識的にめぐらし続けることによって強化できるのです。
・人間を目標に向かわせるパワーは、「自分はそれを達成できる」という信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です。
・公正な秩序が保たれているこの宇宙内では、いかなる調和の欠如も破壊につながります。
・私たちは、自分の心を高めることによってのみ上昇し、克服し、達成します。そして、その努力を怠ることによってのみ、弱さ、絶望、苦悩の中に留まり続けるのです。
・自分の欲望を優先させる人間は、明晰な思いもめぐらせず、秩序だった計画も立てられません。自分の真の能力を発見することも開発することもできず、何を試みても失敗するでしょう。
・私たちは、犠牲を払うことなくしては、いかなる進歩も成功も望めません。私たちの成功は、私たちがその達成をどれだけ強く決意し、その計画の上にいかに強く心を固定するかに加えて、自分の欲望をどれだけ犠牲にできるかにかかっています。
・宇宙は、たとえ表面的にはどのように見えようと、貪欲な人間、不正直な人間、不道徳な人間をけっして援助することがありません。宇宙は、慎み深い人間、正直な人間、清らかな人間のみを支え、援助するのです。
・成功を手にできないでいる人たちは、自分の欲望を全く犠牲にしていない人たちです。人間は、もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません。
・気高い理想を掲げ、そのビジョンを見続けている人間は、いつの日にか、それを現実のものにします。
・理想を抱くことです。そのビジョンを見続けることです。あなたの心を最高にワクワクさせるもの、あなたの心に美しく響くもの、あなたが心から愛すことのできるものを、しっかりと胸に抱くことです。その中から、あらゆる喜びに満ちた状況、あらゆる天国のような環境が生まれてきます。
・富を築き上げた人、知性にあふれた人、神のような人格を備えて大きな影響力を手にしている人たちを見て、彼らは言います。 あの人は、なんて幸運なんだろう! なんて恵まれているんだろう! なんて良い巡り合わせにあるんだろう! かれらは、それらの運の良い人たちが、よりよい人生を夢見て流し続けてきた「血と汗と涙」の部分にはけっして目を向けません。それらの人たちは、強い信念を維持し、数々の犠牲を払い、粘り強い努力を続けてきた人たちなのです。
・人間が達成するあらゆる成功が努力の結果です。そして、努力の大きさによって結果の大小が決定します。そこにはいかなる偶然も介在しません。物質的、知的、精神的達成のすべてが、努力の果実なのです。それらは、成就した思いであり、達成された目標であり、現実化されたビジョンです。
・人間は、穏やかになればなるほど、より大きな成功、より大きな影響力、より大きな権威を手にできます。なぜならば、人々はつねに、冷静で穏やかに振る舞う人間との関わりを好むものであるからです。
・この上なく穏やかな心は、この上なく強い心です。穏やかな心の持ち主は、つねに愛され敬われます。彼は、まるで灼熱の大地に立つ日除けの大木のようです。あるいは、嵐を遮ってくれる巨大な岩のようです。そんな人間を愛さない人間がどこにいるでしょう。彼は、雨が降ろうと晴れようと、あるいはその他のいかなる変化に直面しようと、そんなことと無関係に、つねに柔和であり、静かであり、穏やかです。
・人類は、心のコントロールを怠ることで自分の人生と幸せを破壊することを、いったい、いつになったらやめるのでしょう。バランスのとれた人格を手にしている人たち、その属性である穏やかさを所持している人たちの、なんと少ないことでしょう。
#今回レバレッジメモのため、2回目読了。
#どのような「思い」を持って生きるかが大事。
#自分の環境も人生も自分の思いが原因となって、結果として表れたもの。
「原因」と「結果」の法則 ジェームズ・アレン 著 坂本貢一 訳 2003年4月25日初版発行
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・人は誰も、内側で考えているとおりの人間である
・植物は種から芽生えます。それは、種なくしてはあらわれることができません。そして、私たちも行いもまた、内側で密かにめぐらされる思いという種から芽生えます。
・心の中の思いが、私たちを創っている。私たちは、自分の思いによって創り上げられている。私たちの心が邪悪な思いで満ちているとき、私たちには、いつも痛みがつきまとう。もし、私たちが清い思いばかりをめぐらしたなら、私たちには喜びばかりがつきまとう。
・私たちは、自分自身の思いによって、自分をすばらしい人間に創り上げることもできれば、破壊してしまうこともできます。
・正しい思いを選んでめぐらし続けることで、私たちは気高い、崇高な人間へと上昇することができます。と同時に、誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、獣のような人間へと落下することもできるのです。
・人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である。
・人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。
・もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。
・優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育み続けます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植え付け、それを育み続けなくてはなりません。
・もしあなたがその作業を続けたならば、やがて必ず「自分は自分の心の園芸主任であり、自分の人生の総責任者であるという事実に気づくことになります。
・私たちは、自分を環境の産物だと信じている限り、環境によって打ちのめされる運命にあります。しかし、「自分は創造のパワーそのものであり、環境を育むための土壌と種(心と思い)を自由に管理できる」ということを認識したときから、自分自身の賢い主人として生きられるようになります。
・心の中に蒔かれた(あるいは、そこに落下して根付くことを許された)思いという種のすべてが、それ自身と同種のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます。
・人々が刑務所に入ったり貧困に苦しんだりするのは、過酷な運命や環境のせいなどではけっしてありません。かれらがそうなるのは、ひとえに、かれら自身の不純な思いと利己的な願望のせいなのです。
・私たちの運命を決定する神は、私たち自身の内側にいます。私たちの思いこそがそれなのです。
・人々の多くは、環境を改善することには、とても意欲的ですが、自分自身を改善することには、ひどく消極的です。
・自分自身を改善するということは、真の意味での自己犠牲を払うということにほかなりません。真の自己犠牲とは、心の中からあらゆる悪いものを取り払い、そこを良いものだけで満たそうとする作業です。
・たとえ富の獲得だけを目指している人間でも、その目標を達成するためには、大きな自己犠牲を払わなくてはなりません。
・ここに、悲しいまでに貧しい男がいます。彼は、自分のあらゆる環境が改善されることを願っています。しかし彼は、報酬が少ないということを理由に、仕事をさぼること、つまり、自分の雇い主をだますことを選んでいます。彼は、真の豊かさを築くための原則を何ひとつ理解していません。彼は、貧困からはい上がるにまったく値しないばかりか、怠け心、ずるい思い、卑屈な考えにふけり、それに従って行動することで、より深刻な貧しさを自分自身に引き寄せつつあります。
・ここに、暴飲暴食の結果として深刻な慢性病を患っている、裕福な男がいます。彼は、健康を取り戻すことにはとても意欲的で、そのために莫大なお金をつぎ込んでいます。しかし、自分の欲望は何ひとつ犠牲にしようとはしていません。異常な食欲を満たしたいと願う一方で、健康も手にしたいと願っているのです。言うまでもなく、彼は健康を手にするに値しない人間です。健康にいきるための第一の原則を全く学んでいないからです。
・ここに、自分自身の繁栄を願い、従業員に払うべき賃金を不当に削っている雇い主がいます。しかし、そんな人間は、まったくもって繁栄するに値しません。彼は、自分の会社が破産したり信用を落としたりすると、自分がその一番の責任者であるにも関わらず、それをすべて従業員や環境のせいにする、というタイプの人間です。
・ここで例を紹介したのは、「私たちの環境を創っているのは、私たち自身である」ということに加えて、「私たちは、良い結果に狙いを定めながらも、その結果と調和しない思いをめぐらすことによって、その達成を自ら妨害し続ける傾向にある」という真実を指摘したかったからです。
・「あまりにも善人すぎると、苦悩が絶えない」などという迷信を受け入れることは、自分自身を改善する努力を放棄したい人にとっては、好都合なことかもしれません。
・良い思いや行いはけっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いはけっして良い結果を発生させません。これは、トウモロコシからはトウモロコシ以外のものは決して成長しないこと、あるいは、イラクサからはイラクサ以外のものはけっして成長しないことと同じくらい明らかなことです。この法則が自然界の中で機能していることは、誰もが知っています。でも、それが個人の人生のなかでもまったく同じように機能しているという事実を認識している人は、とても少数です。
・苦悩の最大の、そしておそらく唯一の役割は、無益で不純なあらゆるものを浄化すること、あるいは焼き払うことです。完璧に清らかな人間には、苦悩はけっして訪れません。
・私たちに苦悩をもたらす環境は、私たち自身の精神的混乱の結果です。私たちに喜びをもたらす環境は、私たち自身の精神的調和の結果です。喜びは正しい思いの結果であり、苦悩は誤った思いの結果なのです。
・私たちは、愚痴を言ったり罵ったりすることをやめ、自分の人生を調整している「隠れた正義」の存在を認識し、それに自分の心を従わせ始めたときから、真の人間として生き始めます。そのときから私たちは、自分の環境の悪さを他の人たちのせいにすることをやめ、強く気高い思いをめぐらすことに努めつつ、自分自身を強化しはじめます。環境と戦うことをやめ、それを、自分のより急速な進歩のために、また、自分の隠れた能力や可能性を発見するための場所として、有効に利用しはじめます。
・私たちの多くは、自分が密かにめぐらし続けている思いを、隠し通せるものだと信じ込んでいます。しかしながら、そんなことは到底不可能なことです。それはまず生き方として、つづいて環境として、その姿を明確にあらわすことになるからです。
・動物的な思いは、自制の利かない肉欲的な生き方として、つづいて貧しさや病気に満ちた環境として姿をあらわします。あらゆる種類の汚れた思いが、活力を欠いた、混乱した生き方として、つづいて苦難に満ちた、不愉快な環境として、姿をあらわします。
・気高い思いは、自制の利いた穏やかな生き方として、つづいて平和に満ちた静かな環境として姿をあらわします。清らかな思いは、そのすべてが慈愛と思いやりに満ちた生き方として、つづいて明るい快適な環境として姿をあらわします。
・勇気と信念に満ちた思いは、速やかに決断し、行動する生き方として、つづいて自由と成功と豊かさに満ちた環境として姿をあらわします。活気にあふれた思いは、前向きで積極的な生き方として、つづいて喜びに満ちあふれた環境として姿をあらわします。
・好意的で寛容な思いは、優しさにあふれた生き方として、つづいて安全と安心に満ちた環境として姿をあらわします。愛に満ちた思いは、人々に奉仕する生き方として、つづいて永続的な繁栄と真の富に満ちた環境として姿をあらわします。
・私たちは、自分の環境を直接はコントロールできないかもしれません。でも、自分の思いは完璧にコントロールできます。よって、私たちは間接的に、しかし明らかに、自分の環境をコントロールすることができます。
・宇宙は、私たちがめぐらす思いの具現化を、つねに援助してくれています。
・もし私たちが、意地悪な思いを捨て去ったなら、そのときから世界中が私たちに優しく接し、私たちを援助しようとし始めることになります。
・もし、私たちが正しい思いのみをめぐらしつづけたならば、たとえいかなる不運であっても、私たちに悲しみや辱めを与えることはできなくなります。
・病気と健康は、環境同様、心の中でめぐらされる思いの明らかなあらわれです。
・あらゆる種類の不安が肉体を混乱させ、混乱した肉体は、病気に対して無防備です。
・心の中で繰り返しめぐらされている思いは、それが良いものでも悪いものでも、その内容に応じた結果を、肉体内で確実に発生させているのです。
・いくら食生活を改善しても、自分の心を改めようとしない人間には、ほとんど効果がありません。しかしながら、つねに清らかな思いをめぐらせるようになったとき、人間はもはや、病原菌を気遣う必要さえなくなります。そのときから人間は、とても自然に体に悪い物を好まなくもなります。
・もしあなたが自分の肉体を完璧な状態にしたいのなら、自分の心を守ることです。肉体を再生したいのなら、心を美しくすることです。悪意、羨望、怒り、不安、失望は、肉体から健康と美しさを奪い去ります。憂鬱な顔は偶然の産物ではありません。それは憂鬱な心によって創られます。
・楽しい思いは、どんな医師よりも上手に、肉体から病気を一掃します。
・悪意、皮肉、疑い、羨望などで心を満たし続けているとき、人間は、みずから創りあげた牢獄の中に、自らを閉じこめているようなものです。
・つねに愛に満ちた思いをめぐらしながら、あらゆる人に好意を抱き、あらゆる人と楽しく接し、忍耐をもってあらゆる人の中に良いものを探し続けることは、天国への王道です。
・目標をもたないために人生の海原を漂流している人たちが、驚くほどたくさんいます。目標をもたないことの弊害は、あまりにも大きいと言わざるを得ません。人生の中での漂流は、誰にとっても、もしそのなかで遭難したくないならば、絶対にやめなくてはならないことです。
・もし人生の漂流者となりたくないのなら、自分自身の思いを、みずからの手で設定したその目標に集中して向け続ける必要があります。
・自分の思いを、はかない夢物語やあこがれ、妄想などの上に漂わせたりするのではなく、その目標に集中して向け、意欲的に達成すべきです。それによって私たちは、集中力と自分をコントロールする能力を磨くことにもなります。そして、自分をコントロールする能力を磨くことこそが、自分を強化する最善の策なのです。
・たとえ、その目標の達成に繰り返し失敗したとしても(弱さが克服されるまでは、それが必然です)、それを通じて身につけることのできる心の強さは、真の成功の確かな礎として機能することになります。
・大きな目標を発見できないでいる人は、とりあえず、目の前にある自分がやるべきことに、自分の思いを集中して向けるべきです。そうやって、目の前にあるやるべきことを完璧にやり遂げるよう努力することで、集中力と自己コントロール能力は確実に磨かれます。それらの能力が十分に磨きあげられたとき、達成が不可能なものは何ひとつなくなります。まもなく、とても自然に、より大きな目標が見えてくるはずです。
・虚弱な肉体を持つ人間が、それを忍耐強いトレーニングによって強化できるように、虚弱な心を持つ人間も、それを、正しく力強い思いを意識的にめぐらし続けることによって強化できるのです。
・人間を目標に向かわせるパワーは、「自分はそれを達成できる」という信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です。
・公正な秩序が保たれているこの宇宙内では、いかなる調和の欠如も破壊につながります。
・私たちは、自分の心を高めることによってのみ上昇し、克服し、達成します。そして、その努力を怠ることによってのみ、弱さ、絶望、苦悩の中に留まり続けるのです。
・自分の欲望を優先させる人間は、明晰な思いもめぐらせず、秩序だった計画も立てられません。自分の真の能力を発見することも開発することもできず、何を試みても失敗するでしょう。
・私たちは、犠牲を払うことなくしては、いかなる進歩も成功も望めません。私たちの成功は、私たちがその達成をどれだけ強く決意し、その計画の上にいかに強く心を固定するかに加えて、自分の欲望をどれだけ犠牲にできるかにかかっています。
・宇宙は、たとえ表面的にはどのように見えようと、貪欲な人間、不正直な人間、不道徳な人間をけっして援助することがありません。宇宙は、慎み深い人間、正直な人間、清らかな人間のみを支え、援助するのです。
・成功を手にできないでいる人たちは、自分の欲望を全く犠牲にしていない人たちです。人間は、もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません。
・気高い理想を掲げ、そのビジョンを見続けている人間は、いつの日にか、それを現実のものにします。
・理想を抱くことです。そのビジョンを見続けることです。あなたの心を最高にワクワクさせるもの、あなたの心に美しく響くもの、あなたが心から愛すことのできるものを、しっかりと胸に抱くことです。その中から、あらゆる喜びに満ちた状況、あらゆる天国のような環境が生まれてきます。
・富を築き上げた人、知性にあふれた人、神のような人格を備えて大きな影響力を手にしている人たちを見て、彼らは言います。 あの人は、なんて幸運なんだろう! なんて恵まれているんだろう! なんて良い巡り合わせにあるんだろう! かれらは、それらの運の良い人たちが、よりよい人生を夢見て流し続けてきた「血と汗と涙」の部分にはけっして目を向けません。それらの人たちは、強い信念を維持し、数々の犠牲を払い、粘り強い努力を続けてきた人たちなのです。
・人間が達成するあらゆる成功が努力の結果です。そして、努力の大きさによって結果の大小が決定します。そこにはいかなる偶然も介在しません。物質的、知的、精神的達成のすべてが、努力の果実なのです。それらは、成就した思いであり、達成された目標であり、現実化されたビジョンです。
・人間は、穏やかになればなるほど、より大きな成功、より大きな影響力、より大きな権威を手にできます。なぜならば、人々はつねに、冷静で穏やかに振る舞う人間との関わりを好むものであるからです。
・この上なく穏やかな心は、この上なく強い心です。穏やかな心の持ち主は、つねに愛され敬われます。彼は、まるで灼熱の大地に立つ日除けの大木のようです。あるいは、嵐を遮ってくれる巨大な岩のようです。そんな人間を愛さない人間がどこにいるでしょう。彼は、雨が降ろうと晴れようと、あるいはその他のいかなる変化に直面しようと、そんなことと無関係に、つねに柔和であり、静かであり、穏やかです。
・人類は、心のコントロールを怠ることで自分の人生と幸せを破壊することを、いったい、いつになったらやめるのでしょう。バランスのとれた人格を手にしている人たち、その属性である穏やかさを所持している人たちの、なんと少ないことでしょう。
2014/09/26
2015年は #能率手帳 小型版を買いました!
今年の6月、2015年は能率手帳にすると宣言
待ちきれずに7月から使ってみたもののやっぱり手帳は不要。
100円ノートで十分と思っていたが、結局宣言どおり購入。
7月に購入したサイズではなく、小型版。
昔からちいさい手帳に憧れがあったような気がする。
このサイズは、2012年の能率手帳ライツ3小型版以来。
まだ出番は当分先。
能率手帳は、100円ノートのインデックスの役割としても使う。
いつどんなイベントがあったか手帳に書いておけば、詳しいことは、その日付のノートを見れば書いてある、または、何か貼ってあるという使い方。
月間のガントチャートが意外に見やすくて気に入っている。
また、使って見ればいい面、悪い面も見えてくるだろう。
#手帳 にレシートを貼っておく
iPhoneでこずかい帳を付けているが、たまに残高が合わないことがある。
思い出そうにも記憶にない。
そんな時に手帳を読み返すとレシートで出費が確認できる。
最近何度か助けられている。
2014/09/24
2014/09/22
#トラベラーズノートカバー 背表紙に穴をあけてゴムを通す
最近は、100円ノート一冊手帳術で通してきたが、なんとなく寂しい。
なのでときどきトラベラーズノートカバーを使う。
私のトラベラーズノートカバーはA6サイズに合うように上の部分をカットしたので(当然ながら)ゴムの位置が上に寄っている。
また、裏表紙にゴムがあるのは美的にもいまいち、出っ張りもジャマなので、背表紙の真ん中に穴をあけてゴムを通すことにした。
そのまま綺麗にあいたまま。
何か飾りでもつけましょうね(沖縄風)。
2014/09/20
「勝率9割の選択」 #レバレッジメモ
読みやすくてすぐに読んでしまった。
まだまだ書ききれない事はたくさんありそう。
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勝率9割の選択 プロギャンブラーのぶき 2014年9月3日発行
・今のベストはなにか?と考え、行動し続けること。
・時間というのは、誰にでも平等に流れている。しかし、その使い方で人生は変わってくる。
・「今のベストは?」この1時間のベストを選択し、これを積み重ね、継続する。
・人生とは、今の連続。ベストな人生とは、今のベストな連続でしかなし得ない。
・やるべきことを思いついた場合、新しいスケジュールが入った場合に、後回しにせず、すぐにメモを取る。
・よいアイデアがひらめいた場合は、特に、その場でメモを取る。入浴中なら、お風呂から一度出てでも、その瞬間にメモを取る。
・その瞬間にメモを取る理由は、後に回すと忘れてしまうことが多いためだ。これでは、せっかくあなたの脳が考え出した「あなたの勝因」を活かせないことになる。勝因を見逃すことは、敗因につながる。あなたの脳は、あなたが考えているよりも、とても優秀で献身的だ。
・次の行動を起こすときに、その「今日する事リスト」から「今のベストは何か?」で選択肢を選んでいく。
・すぐには「自分のベストはなにか」と突き詰めることができないかもしれない。しかし、この意識を常に持っておけば、やりたいことや夢が見つかったとき、ビジネスを成功させたいときなど、本当に「勝ちたい」と思う局面で、人生の岐路になるシーンで「じゃあ、そのためには今なにをするのがベストなのか」と考えることができる。
・ベストな人生を送りたければ、ベストな今を決め続けていく。そのための最強のパートナーが「メモ」だ。
・選択に迷ったとき、「人生選択表」をつくって決断する。迷っている各選択肢のメリットを、様々な視点で思いつくままに書き出す。各選択肢のデメリットを、逆側のメリット欄に書き込む。メリットとデメリットが出なくなるまで続ける。自己視点のみで5点満点で点数を付ける。それぞれの選択肢の合計点を計算し、多い方の結果に従う。
・評価する視点はあくまで「自己視点」。納得して決めると、「自分はベストの選択をした」という自信で胸を張れるようになる。
・「なんとなく」「まあいいか」で決めてしまうと、あとでつらいこと、嫌なことがあったときにあっちのほうがよかったのではないかと迷い始める。これは、あなたの意志が弱かったり、優柔不断だからではない。決めるまでの過程に問題がある、ただそれだけのことだ。
・前に進んでいけば、その途中でどこかに必ず壁がある。壁にぶつかったときに「ああ、反対の道に進めばよかった」という思いが頭をよぎると、その気持ちが一番の敗因となってしまう。壁にぶつかったとき、戻って別の道を行ったり、別の道を考えたりせず、「こっちでいいんだ!」「じゃあ、どうやってこの壁を越えようか」と思えるかどうか。この気持ちの強さが重要であり、「ベストな選択をした」という自信があれば、この気持ちは自然と湧いてくる。
・死ぬ気でがんばっても、その壁を越えることができなかったときには、もう一度冷静に違う選択肢を考え直してもいい。その時には、最初に選択をしたときから、時間も経っているし、自分の実力も現実も見えている。モチベーションも変わっているからだ。
・自分の「実力」というのは、「自分がやりたいことを、いかにこなせたか」言い換えれば、「自分の描いた夢を実現させた力」だ。誰かに強制されたものは実績ではない。
・同じことを1日に12時間も13時間も続けられるのは、その人が本気でやりたいことをやっているから。やりたいと思ったことを実行できる能力には、自信を持つべきだ。
・最初から「疲れそうだから」と8割の力しか出さなければ、目標までの道の8割の場所にしか行けない。実際には、もっと力をセーブしてしまい、6割の場所にも到達できないと考えている。
・「ベストを尽くした」「やることはすべてやった」と思えたら、結果はどうであれ、気持ちは晴れ晴れする。しかし、ベストを尽くせなければ、たとえ結果が良くとも、どこか浮かない顔をしているものだ。ベストを尽くさなかったことは、自分が一番わかっている。
・まずはベターの方向へ動いていく。
・勝負の世界において、現状に満足しないで常に改善し続けるという姿勢は非常に重要だ。一つの勝負が終わったときに、その勝負を振り返って、なにか改善すべき点はないかを探してみる。改善点を把握したら、同じミスを繰り返さないように対策を考える。
・勝負の世界はシビアなので、ひとつの勝ちパターンや、一度の勝った経験にすがっていては生き残ることができない。同じやり方で、今月も勝ち続けられるとは限らない。先月と同じ自分では、すでに通用しなくなっている可能性もある。
・まずは「勝てるビジネス」かどうかを見極めることが、勝負以前に必要な準備であり、勝つための大前提だ。
・その分野でどれだけの人が成功し、どれだけの人が失敗しているのか。
・ポーカーの世界には「プロはすべての本を読んでいる」という格言がある。
・ちゃんと準備できたかなくらいの準備では、勝ち続けていくのは無理だ。1回の勝負や、1日、1週間といった単位では勝てるかもしれない、1ヶ月勝ち続けるのは厳しいし、3ヶ月もつことはない。
・どんな環境に身をおいて過ごすかで、理想の自分をつくりあげていける。だからこそ、「なんとか耐えられそうなギリギリの環境に身を置く」ようにしている。
・大切なのは「敗因を減らして、勝因を増やしていく」。たとえ勝因を増やせずとも、敗因をひとつ減らすだけでもいい。それは勝因がひとつ増えたことと同じだからだ。
・結果として、新たなギャンブルでもプロになることができたのは、甘えの利かない環境に身を置き、ハングリーに集中し続けることができたからだ。
・僕がご褒美を設定する理由のひとつに、その方がより走りやすいということがある。
・往々にして、人の意志というのは弱い。自分自身で「がんばる」と決めたにもかかわらず、数分後には娯楽に興じる自分に気づき、自己嫌悪に陥った経験は、誰もが持っているだろう。ピッチャーがキャッチャーミットめがけて球を投げるように、スプリンターが100メートル先のゴールラインを目指して全力疾走するように、目標物があった方が人は前に突き進むことができる。
・まずは、1日のご褒美を決めることから始めてみよう。ご褒美で自分を操縦し、ゴールへ向かおう。
・時代や流れによって、ベストは常に変わっていく。常に対応できるように自分を固定させないことが大切だ。
・よくある負けパターンは「自分はこれで勝てていたから」「こういうことはやったことがない」「自分は変えられない」と、過去のやり方にこだわって型を変えられないこと。
・常に自分をリセットするつもりで挑む。形を変えることができれば、目の前にどんな器が用意されても、動揺したり不安になることはない。ただ水になればいいのだ。
・物事というのは流れの速い遅いはあれど、常に動いている。10年後に、今と全く一緒の物事など存在しない。一見動いていないように見えるものも、実はゆっくり動いているからだ。だからこそ、流れを察知し、自らも変化していく姿勢が必要なのだ。
・長く生き残っている企業やサービスと、消えてしまった企業やサービスの違いは何か。僕は、「時代の変化に適応できるスタンスを持っていたかどうか」だと考えている。
・経験を重ねてもスピーディーかつパワフルに動くことができるのは、世の中を常に新しい目で見ている証拠。視点を固定化しないからこそ、やりたいことや改善点がいくつも出てくるので、止まっている暇はないのだ。
・生きていれば、必ず自分のいる場所や環境は変わる。「安定している」「数年後も今と変わらない」と思うと、そこで思考停止になってしまう。
・不安定を前提にしていれば、常に変化に対する心備えができていく。
・出来事というのは、その波が大きいか小さいかの違いだ。波がないと思いこんでしまうから、「波が来るんじゃないか」と不安になったり、波が起きたときに慌ててしまう。
・何か起きたとき、落ち込んだり慌てたりするのではなく、「この不安をどう乗り越えようか!」と不安をエンターテインメント化する。
・ラスベガスに渡って一人で部屋でひたすら辞書を片手に洋書の専門書を読み込んだ。本に書いてあるテクニックを体で覚えていくため、実践練習を重ねる日々を過ごした。丸3ヶ月、誰とも会話をしないで過ごした。この方法で本当にギャンブルを極めることができるのか、全く先が読めない。たった一人孤独な状態で、極限まで集中して勉強を続けること。これは、想像する以上に心理的負担が大きかった。しかし、その心理的壁を乗り越えたことで、「自分はこんな極限の状態までがんばることができる」さらに、ギャンブルを習得するのに2年の時間を要したことで、「少なくとも、2年は全力を尽くすことができる」ということがわかった。
・スキル性の高いポーカーでプロになってわかったことは、「ポーカーとは、ラッキーが占める割合が大きいゲームほど、人気の出るゲームだった」つまり、スキルの要素が大きいほど衰退していく。なぜなら、初めてカジノに行った人でも勝てるチャンスがある方が、人が集まりやすいからだ。
・「過去の人」にならず、今を生きていくこと。そして、今を生きていくために「ときには恐れずリセットする英断が必要なこと」を、覚えておいてほしい。
・ポーカー界の常識では「対人思考力にはレベルがある」「プロならレベル3の視点を持て」という格言がある。
・「レベル1」は、自分のカードだけを見て、いいか悪いかを判断し勝負する、いわば相手は関係なく、自己中心的な思考で物事を判断する。「自分→自分」の視点。
・「レベル2」は、相手に対して「今、どんなカードを持っているか?」と探る段階。「自分→相手」の視点。
・「レベル3」は、「相手→自分」の視点。目の前の相手から自分がどう見えているかを考える段階。相手からの視点も判断材料に入れた上で戦略を立てていく。
・こちらのコントロール次第で、相手を弱気にさせることも、油断させることもできる。そのためには、相手が今の自分をどのように捉えているか、というのを把握していなければならない。
・能力を高めるときには、バランスが重要だ。なぜなら、理論ばかりで、実際の経験が足らなければ、頭でっかちで柔軟性を欠いた思考になってしまう。一方で、経験ばかりで理論がなければ、さまざまな手法を知ることもない。どうすれば効率的に成長できるかもわからない。
・理論9で経験1よりは、理論1で経験9の方が、まだ可能性がある。なぜなら、経験を積んでいれば、それまでの過程で必ず失敗もしているからだ。失敗から学ぶことができれば、次に同じ失敗をしないように心がける。そうすれば、敗因がどんどん減っていくことになる。敗因を少なくするということは、勝因を増やすことと同じ。
・本当に自分の能力を高めたいのであれば、他人から盗めるところは徹底的に盗む。「どんな人でも、自分より優れた部分を必ず持っている。それを貪欲に盗め」と言っている。
・熱く話していて自分の口から発した言葉が、「自分でも気付いていなかった自分の考え」ということもある。だから、「人へ積極的に話しかけ、相手の優れた部分を盗み、自ら発するものからも気づきを得る」これがプロの姿勢だ。
・得たものは鵜呑みにせず、一度ゆっくりと熟考し、よく咀嚼してから、「どれが使えるのか、使えないのか」というのを取捨選択していく。
・常識と言われることを試してみて、もしダメだった場合、あるいは常識の範疇で生きていて「なにか違うな」「うまくいかないな」と思ったのなら、あえて非常識な選択をするという道も残されている。考え方として、「違う道もある」「この外にも世界は広がっている」と思うだけで、心に余裕ができ、思考がクリアになる。
・自分の夢にたどり着きたいのであれば、生活費を下げてプロラインを引き下げることが勝因になる。「プロライン」を越えるとは、その夢だけで必要な生活費をすべて稼ぎ出せるようになったということ。
・世界各国で共通する概念が正しく、共通しない概念は正しくない可能性が高い。
・過去の運に「よかった」「悪かった」と判断することはできる。でも、未来の運は誰にも読めない。
・僕は15年以上も世界を周り続け、世界的な視野を得ることができた。「日本人として生まれた」ただこれだけで、世界のトップ5%に入るラッキーな人生だと感じている。
・実力をつけて運に左右されない自分をつくる、さらには運という概念をミニマム化していくことが重要だ。
・「今日は運が悪かったから」と片付けてしまうと、そこで思考停止してしまう。実力を伸ばすことしか考えない。これがプロの戦い方であり、勝負の鉄則だ。
まだまだ書ききれない事はたくさんありそう。
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勝率9割の選択 プロギャンブラーのぶき 2014年9月3日発行
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・今のベストはなにか?と考え、行動し続けること。
・時間というのは、誰にでも平等に流れている。しかし、その使い方で人生は変わってくる。
・「今のベストは?」この1時間のベストを選択し、これを積み重ね、継続する。
・人生とは、今の連続。ベストな人生とは、今のベストな連続でしかなし得ない。
・やるべきことを思いついた場合、新しいスケジュールが入った場合に、後回しにせず、すぐにメモを取る。
・よいアイデアがひらめいた場合は、特に、その場でメモを取る。入浴中なら、お風呂から一度出てでも、その瞬間にメモを取る。
・その瞬間にメモを取る理由は、後に回すと忘れてしまうことが多いためだ。これでは、せっかくあなたの脳が考え出した「あなたの勝因」を活かせないことになる。勝因を見逃すことは、敗因につながる。あなたの脳は、あなたが考えているよりも、とても優秀で献身的だ。
・次の行動を起こすときに、その「今日する事リスト」から「今のベストは何か?」で選択肢を選んでいく。
・すぐには「自分のベストはなにか」と突き詰めることができないかもしれない。しかし、この意識を常に持っておけば、やりたいことや夢が見つかったとき、ビジネスを成功させたいときなど、本当に「勝ちたい」と思う局面で、人生の岐路になるシーンで「じゃあ、そのためには今なにをするのがベストなのか」と考えることができる。
・ベストな人生を送りたければ、ベストな今を決め続けていく。そのための最強のパートナーが「メモ」だ。
・選択に迷ったとき、「人生選択表」をつくって決断する。迷っている各選択肢のメリットを、様々な視点で思いつくままに書き出す。各選択肢のデメリットを、逆側のメリット欄に書き込む。メリットとデメリットが出なくなるまで続ける。自己視点のみで5点満点で点数を付ける。それぞれの選択肢の合計点を計算し、多い方の結果に従う。
・評価する視点はあくまで「自己視点」。納得して決めると、「自分はベストの選択をした」という自信で胸を張れるようになる。
・「なんとなく」「まあいいか」で決めてしまうと、あとでつらいこと、嫌なことがあったときにあっちのほうがよかったのではないかと迷い始める。これは、あなたの意志が弱かったり、優柔不断だからではない。決めるまでの過程に問題がある、ただそれだけのことだ。
・前に進んでいけば、その途中でどこかに必ず壁がある。壁にぶつかったときに「ああ、反対の道に進めばよかった」という思いが頭をよぎると、その気持ちが一番の敗因となってしまう。壁にぶつかったとき、戻って別の道を行ったり、別の道を考えたりせず、「こっちでいいんだ!」「じゃあ、どうやってこの壁を越えようか」と思えるかどうか。この気持ちの強さが重要であり、「ベストな選択をした」という自信があれば、この気持ちは自然と湧いてくる。
・死ぬ気でがんばっても、その壁を越えることができなかったときには、もう一度冷静に違う選択肢を考え直してもいい。その時には、最初に選択をしたときから、時間も経っているし、自分の実力も現実も見えている。モチベーションも変わっているからだ。
・自分の「実力」というのは、「自分がやりたいことを、いかにこなせたか」言い換えれば、「自分の描いた夢を実現させた力」だ。誰かに強制されたものは実績ではない。
・同じことを1日に12時間も13時間も続けられるのは、その人が本気でやりたいことをやっているから。やりたいと思ったことを実行できる能力には、自信を持つべきだ。
・最初から「疲れそうだから」と8割の力しか出さなければ、目標までの道の8割の場所にしか行けない。実際には、もっと力をセーブしてしまい、6割の場所にも到達できないと考えている。
・「ベストを尽くした」「やることはすべてやった」と思えたら、結果はどうであれ、気持ちは晴れ晴れする。しかし、ベストを尽くせなければ、たとえ結果が良くとも、どこか浮かない顔をしているものだ。ベストを尽くさなかったことは、自分が一番わかっている。
・まずはベターの方向へ動いていく。
・勝負の世界において、現状に満足しないで常に改善し続けるという姿勢は非常に重要だ。一つの勝負が終わったときに、その勝負を振り返って、なにか改善すべき点はないかを探してみる。改善点を把握したら、同じミスを繰り返さないように対策を考える。
・勝負の世界はシビアなので、ひとつの勝ちパターンや、一度の勝った経験にすがっていては生き残ることができない。同じやり方で、今月も勝ち続けられるとは限らない。先月と同じ自分では、すでに通用しなくなっている可能性もある。
・まずは「勝てるビジネス」かどうかを見極めることが、勝負以前に必要な準備であり、勝つための大前提だ。
・その分野でどれだけの人が成功し、どれだけの人が失敗しているのか。
・ポーカーの世界には「プロはすべての本を読んでいる」という格言がある。
・ちゃんと準備できたかなくらいの準備では、勝ち続けていくのは無理だ。1回の勝負や、1日、1週間といった単位では勝てるかもしれない、1ヶ月勝ち続けるのは厳しいし、3ヶ月もつことはない。
・どんな環境に身をおいて過ごすかで、理想の自分をつくりあげていける。だからこそ、「なんとか耐えられそうなギリギリの環境に身を置く」ようにしている。
・大切なのは「敗因を減らして、勝因を増やしていく」。たとえ勝因を増やせずとも、敗因をひとつ減らすだけでもいい。それは勝因がひとつ増えたことと同じだからだ。
・結果として、新たなギャンブルでもプロになることができたのは、甘えの利かない環境に身を置き、ハングリーに集中し続けることができたからだ。
・僕がご褒美を設定する理由のひとつに、その方がより走りやすいということがある。
・往々にして、人の意志というのは弱い。自分自身で「がんばる」と決めたにもかかわらず、数分後には娯楽に興じる自分に気づき、自己嫌悪に陥った経験は、誰もが持っているだろう。ピッチャーがキャッチャーミットめがけて球を投げるように、スプリンターが100メートル先のゴールラインを目指して全力疾走するように、目標物があった方が人は前に突き進むことができる。
・まずは、1日のご褒美を決めることから始めてみよう。ご褒美で自分を操縦し、ゴールへ向かおう。
・時代や流れによって、ベストは常に変わっていく。常に対応できるように自分を固定させないことが大切だ。
・よくある負けパターンは「自分はこれで勝てていたから」「こういうことはやったことがない」「自分は変えられない」と、過去のやり方にこだわって型を変えられないこと。
・常に自分をリセットするつもりで挑む。形を変えることができれば、目の前にどんな器が用意されても、動揺したり不安になることはない。ただ水になればいいのだ。
・物事というのは流れの速い遅いはあれど、常に動いている。10年後に、今と全く一緒の物事など存在しない。一見動いていないように見えるものも、実はゆっくり動いているからだ。だからこそ、流れを察知し、自らも変化していく姿勢が必要なのだ。
・長く生き残っている企業やサービスと、消えてしまった企業やサービスの違いは何か。僕は、「時代の変化に適応できるスタンスを持っていたかどうか」だと考えている。
・経験を重ねてもスピーディーかつパワフルに動くことができるのは、世の中を常に新しい目で見ている証拠。視点を固定化しないからこそ、やりたいことや改善点がいくつも出てくるので、止まっている暇はないのだ。
・生きていれば、必ず自分のいる場所や環境は変わる。「安定している」「数年後も今と変わらない」と思うと、そこで思考停止になってしまう。
・不安定を前提にしていれば、常に変化に対する心備えができていく。
・出来事というのは、その波が大きいか小さいかの違いだ。波がないと思いこんでしまうから、「波が来るんじゃないか」と不安になったり、波が起きたときに慌ててしまう。
・何か起きたとき、落ち込んだり慌てたりするのではなく、「この不安をどう乗り越えようか!」と不安をエンターテインメント化する。
・ラスベガスに渡って一人で部屋でひたすら辞書を片手に洋書の専門書を読み込んだ。本に書いてあるテクニックを体で覚えていくため、実践練習を重ねる日々を過ごした。丸3ヶ月、誰とも会話をしないで過ごした。この方法で本当にギャンブルを極めることができるのか、全く先が読めない。たった一人孤独な状態で、極限まで集中して勉強を続けること。これは、想像する以上に心理的負担が大きかった。しかし、その心理的壁を乗り越えたことで、「自分はこんな極限の状態までがんばることができる」さらに、ギャンブルを習得するのに2年の時間を要したことで、「少なくとも、2年は全力を尽くすことができる」ということがわかった。
・スキル性の高いポーカーでプロになってわかったことは、「ポーカーとは、ラッキーが占める割合が大きいゲームほど、人気の出るゲームだった」つまり、スキルの要素が大きいほど衰退していく。なぜなら、初めてカジノに行った人でも勝てるチャンスがある方が、人が集まりやすいからだ。
・「過去の人」にならず、今を生きていくこと。そして、今を生きていくために「ときには恐れずリセットする英断が必要なこと」を、覚えておいてほしい。
・ポーカー界の常識では「対人思考力にはレベルがある」「プロならレベル3の視点を持て」という格言がある。
・「レベル1」は、自分のカードだけを見て、いいか悪いかを判断し勝負する、いわば相手は関係なく、自己中心的な思考で物事を判断する。「自分→自分」の視点。
・「レベル2」は、相手に対して「今、どんなカードを持っているか?」と探る段階。「自分→相手」の視点。
・「レベル3」は、「相手→自分」の視点。目の前の相手から自分がどう見えているかを考える段階。相手からの視点も判断材料に入れた上で戦略を立てていく。
・こちらのコントロール次第で、相手を弱気にさせることも、油断させることもできる。そのためには、相手が今の自分をどのように捉えているか、というのを把握していなければならない。
・能力を高めるときには、バランスが重要だ。なぜなら、理論ばかりで、実際の経験が足らなければ、頭でっかちで柔軟性を欠いた思考になってしまう。一方で、経験ばかりで理論がなければ、さまざまな手法を知ることもない。どうすれば効率的に成長できるかもわからない。
・理論9で経験1よりは、理論1で経験9の方が、まだ可能性がある。なぜなら、経験を積んでいれば、それまでの過程で必ず失敗もしているからだ。失敗から学ぶことができれば、次に同じ失敗をしないように心がける。そうすれば、敗因がどんどん減っていくことになる。敗因を少なくするということは、勝因を増やすことと同じ。
・本当に自分の能力を高めたいのであれば、他人から盗めるところは徹底的に盗む。「どんな人でも、自分より優れた部分を必ず持っている。それを貪欲に盗め」と言っている。
・熱く話していて自分の口から発した言葉が、「自分でも気付いていなかった自分の考え」ということもある。だから、「人へ積極的に話しかけ、相手の優れた部分を盗み、自ら発するものからも気づきを得る」これがプロの姿勢だ。
・得たものは鵜呑みにせず、一度ゆっくりと熟考し、よく咀嚼してから、「どれが使えるのか、使えないのか」というのを取捨選択していく。
・常識と言われることを試してみて、もしダメだった場合、あるいは常識の範疇で生きていて「なにか違うな」「うまくいかないな」と思ったのなら、あえて非常識な選択をするという道も残されている。考え方として、「違う道もある」「この外にも世界は広がっている」と思うだけで、心に余裕ができ、思考がクリアになる。
・自分の夢にたどり着きたいのであれば、生活費を下げてプロラインを引き下げることが勝因になる。「プロライン」を越えるとは、その夢だけで必要な生活費をすべて稼ぎ出せるようになったということ。
・世界各国で共通する概念が正しく、共通しない概念は正しくない可能性が高い。
・過去の運に「よかった」「悪かった」と判断することはできる。でも、未来の運は誰にも読めない。
・僕は15年以上も世界を周り続け、世界的な視野を得ることができた。「日本人として生まれた」ただこれだけで、世界のトップ5%に入るラッキーな人生だと感じている。
・実力をつけて運に左右されない自分をつくる、さらには運という概念をミニマム化していくことが重要だ。
・「今日は運が悪かったから」と片付けてしまうと、そこで思考停止してしまう。実力を伸ばすことしか考えない。これがプロの戦い方であり、勝負の鉄則だ。
2014/09/18
2015 #超整理手帳
講談社のサイトはまだ2015年対応をしていない。
なので、まだ販売開始していないのかと思いきや!
オンラインショップでは販売してた。
しかも、画像が前のもので数字だけ「2015」に直してる!
ちょっと力入れなさすぎでガッカリ感が・・・
2014/09/17
2014/09/11
2014/09/09
嫌われる勇気 レバレッジ・メモ
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎、古賀史健
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レバレッジ・メモを読み返してさらに理解が深まる。
本田さんに感謝。
レバレッジ・メモの部分はポメラDM5で入力。
この本の内容は、どなたかのamazonレビューのように劇薬です。
取扱注意です。
注意して読んでください。
アドラーの心理学は、人間の本質をついています。
思い当たることばかりです。
自分が変わらないといけない。
そうです。実践します。
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・人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味付けをほどこした主観的な世界に住んでいます。あなたが見ている世界は、私が見ている世界とは違うし、およそ誰とも共有し得ない世界でしょう。
・井戸水の温度は年間を通してほぼ18度で一定しているのに、夏に飲む井戸水は冷たく感じ、冬に飲む井戸水は温かく感じます。あなたにとっては、井戸水の冷たさも温かさも動かしがたい事実なのです。主観的な世界に住んでいるとは、そういうことです。
・もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているかもしれない。世界が暗く見えるのは当然。暗い世界を嘆くのではなく、外してしまえばいい。そこに映る世界は強烈にまずしく、思わずまぶたを閉じてしまうかもしれません。それでもなお、サングラスを付けずにいられるか。世界を直視することができるか。あなたにその「勇気」があるか。
・大きな災害に見舞われたとか、幼い頃に虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし、大切なのはそれによってなにかが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。
・大声を出すという目的が先にあった。すなわち、大声を出すことによって、ミスを犯したウェイターを屈服させ、自分のいうことを聞かせたかった。その手段として、怒りという感情をねつ造した。
・言葉で説明する手順を面倒に感じ、無抵抗な相手を、より安直な手段で屈服させようとした。その道具として、怒りの感情を使った。
・怒りとは出し入れ可能な「道具」。ただ大声で娘を威圧するため、それによって自分の主張を押し通すために、怒りの感情を使っている。怒りは、目的を達成するための手段。
・人は感情に支配されない。さらには過去にも支配されないという意味において、アドラー心理学はニヒリズムの対極にある思想であり、哲学。
・過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味付けをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくる。
・われわれの自由意志を否定し、人間を機械であるかのように見なしているのは、むしろフロイト的な原因論なのだと理解してください。
・変わることの第一歩は、知ることにあります。
・答えとは、誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきものです。他者から与えられた答えはしょせん対処療法にすぎず、何の価値もありません。
・ギリシア語の「善」(agathon)という言葉には、ただ「為になる」という意味です。「悪」(kakon)という言葉には、「為にならない」という意味。この世界には、不正や犯罪など様々な悪行がはびこっています。しかし、純粋な意味での「悪=為にならないこと」を欲するものなど、ひとりもいないのです。
・アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明します。その人が「世界」をどう見ているか。また「自分」のことをどう見ているか。これらの「意味付けのあり方」を集約させた概念がライフスタイル。狭義的には性格、もっと広く、その人の世界観や人生観まで含んだ言葉。
・もしもライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選び直すことも可能なはず。
・問題は過去ではなく、現在の「ここ」にある。これまで通りのライフスタイルを選び続けることも、新しいライフスタイルを選び直すことも、すべてはあなたの一存にかかっています。
・人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。
・「このままのわたし」であり続けていれば、目の前の出来事にどう対処すればいいか、そしてその結果どんなことが起こるのか、経験から推測できます。いわば、乗り慣れた車を運転している状態です。多少のガタがきていても、乗りこなすことができるわけです。一方、新しいライフスタイルを選んでしまったら、何が起こるかわからない。見通しが立たないし、不安だらけ、もっと苦しく、もっと不幸な生が待っているかもしれない。つまり人は、いろいろ不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。
・小説家になることを夢見ながら、なかなか作品を書き上げられない人。実際のところは、応募しないことによって、「やればできる」という可能性を残しておきたい。人の評価にさらされたくないし、ましてや駄作を書き上げて落選する、という現実に直面したくない。時間さえあればできる、環境さえ整えばかける、自分にはその才能があるのだ、という可能性の中に生きていたいのだ。
・賞に応募して、落選するならすればいいのです。そうすればもっと成長できるかもしれない。あるいは、別の道に進むべきだとわかるかもしれない。いずれにせよ、前に進むことができます。
・これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない。自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ。
・短所ばかりに目がついてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているから。自分を好きにならないという目的を達成するために、長所を見ないで短所だけに注目している。自分を好きにならないことが、あなたにとっての「善」なのです。
・あなたは他者から否定されることを怖れている。誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを怖れている。そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関わりを持たない方がましだと思っている。つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係の中で傷つかないこと」なのです。
・自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶されたときの理由付けにもなるでしょう。
・対人関係の中で傷つかないなど、基本的にあり得ません。対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくものだし、あなたも他の誰かを傷つけている。アドラーは「悩みを消し去るには、宇宙の中にただひとりで生きるしかない」のだと。しかし、そんなことはできないのです。
・孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とします。
・アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とまで断言している。
・劣等感とは、自らへの価値判断に関わる言葉。自分には価値がないのだ、この程度の価値しかないのだ、といった感覚。
・主観にはひとつだけいいところがあります。それは、自分の手で選択可能だということ。自分の身長について長所と見るのか、短所と見るのか。いずれも主観に委ねられているからこそ、わたしはどちらを選ぶこともできます。
・欠如した部分を、どのようにして補償していくか。もっとも健全な姿は、努力と成長を通じて補償しようとすること。勉学に励んだり、練習を積んだり、仕事に精を出したりする。しかし、その勇気を持ち得ていない人は、劣等コンプレックスに踏み込んでしまう。「学歴が低いから、成功できない」と考える。「もしも学歴さえ高ければ、自分は容易に成功できるのだ」と、自らの有能さを暗示する。
・わたしと権威を結びつけることによって、あたかも「わたし」が優れているかのように見せかけている。偽りの優越感。権威の力を借りて自らを大きく見せている人は、結局他者の価値観に生き、他者の人生を生きている。
・自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。自分がいかに不幸で、いかに苦しんでいるかを訴えることによって、周囲の人々(たとえば家族や友人)を心配させ、その言動を束縛し、支配しようとしている。
・弱さは非常に強くて権力がある。
・健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの。
・すべての人間は「同じではないけれど対等」
・大人扱いするのではなく、子ども扱いするのでもなく、いわば「人間扱い」するのです。自分と同じ一人の人間として、真摯に向かい合うのです。
・縦の軸が存在しない平らな空間を、われわれは歩んでいる。われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値がある。
・時計の針を巻き戻すことはできません。しかし、過去の出来事にどのような意味付けをほどこすか。これは「いまのあなた」に与えられた課題。
・もしも面罵されたなら、その人の隠し持つ「目的」を考える。相手の言動によって本気で腹が立ったときには、相手が「権力争い」を挑んできている。相手は闘って勝ちたい。勝つことによって自らの力を証明したい。
・仮にあなたが言い争いに勝ったとしても、権力争いはここで終わらない。争いに敗れた相手は、次の段階、復讐の段階に突入する。
・親に虐げられた子どもが非行に走る。不登校になる。リストカットなどの自傷行為に走る。これらは、子どもが隠し持っている目的、「親への復讐」である。親は困る。あわてふためき、胃に穴があくほど深刻に悩む。子どもはそれを知った上で、問題行動にでている。
・対人関係が復讐の段階まで及んでしまうと、当事者同士による解決はほとんど不可能になる。そうならないためにも、権力争いを挑まれたときには、絶対に乗ってはならない。
・権力争いだと察知したら、いち早く争いから降りる。相手のアクションに対してリアクションを返さない。われわれにできるのは、それだけ。
・怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段であり道具。
・怒りとはコミュニケーションの一形態であり、怒りを使わないコミュニケーションは可能。われわれは怒りを用いずとも意思の疎通はできるし、自分を受け入れてもらうことも可能。それが経験的にわかってくれば、自然と怒りの感情もでなくなります。
・怒ってはいけない、ではなく「怒りという道具に頼る必要がない」。怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らない。
・われわれには、言葉がある。言葉によってコミュニケーションをとることができる。言葉の力を、論理の言葉を信じるのです。
・いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。ここは多くの人が陥る、対人関係の罠です。
・人は、対人関係の中で「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている。
・わたしは正しい。相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまう。「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との思いこみにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。これは完全な権力争い。
・そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。
・誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。
・アドラー心理学は、人間の行動面と心理面のあり方について、はっきりとした目標をかかげている。
行動面の目標
1)自立すること
2)社会と調和して暮らせること
この行動を支える心理面の目標
1)わたしには能力がある、という意識
2)人々はわたしの仲間である、という意識
これらの目標は、アドラーのいう「人生のタスク」と向き合うことで達成できる
・「人生のタスク」とは、人が成長する過程で生まれる対人関係を「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つに分け、まとめて「人生のタスク」と呼んでいる。
・ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスク。「直面せざるをえない」という意味において、まさしく「タスク」
・友達や知り合いの数には、何の価値もありません。考えるべきは関係の距離と深さなのです。
・あなたが変われば、周囲も変わります。変わらざるをえなくなります。アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です。
・「愛のタスク」は2つの段階に分かれる。ひとつは、いわゆる恋愛関係。もう一つは、家族との関係、特に親子関係。仕事、交友と続いてきた3つのタスクのうち、愛のタスクがもっともむずかしい。
・友人関係から恋愛関係に発展したとき、友達のあいだは許せていた言動が、恋人になった途端に許せなくなることがある。具体的には、異性の友達と遊んでいるのが許せなかったり、場合によっては異性の誰かと電話をしているだけで嫉妬したりする。それだけ距離も近いし、関係も深い。
・しかし、アドラーは、相手を束縛することを認めません。相手が幸せそうにしていたら、その姿を素直に祝福することができる。それが愛であり、互いを束縛しあうような関係はやがて破錠してしまうでしょう。
・一緒にいてどこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、恋であっても愛とは呼べない。人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とは、そういうことです。
・束縛とは、相手を支配せんとする心の表れであり、不信感に基づく考えでもあります。
・一緒に仲良く暮らしたいのであれば、互いを対等の人格として扱わなければならない。
・恋愛が赤い糸で結ばれた関係だとするならば、親子は頑強な鎖でつながれた関係。
・どれほど困難に思える関係であっても、向き合うことを回避し、先延ばしにしてはいけない。いちばんいけないのは、「このまま」の状態で立ち止まること。
・仮にあなたがAという人物のことを嫌っているとしましょう。なぜなら、Aさんには許し難い欠点があるからだ、と。しかし、それは、Aさんの欠点が許せないから嫌っているのではありません。あなたには「Aさんのことを嫌いになる」という目的が先にあって、その目的にかなった欠点を後から見つけだしているのです。Aさんとの対人関係を回避するために!
・相手は何も変わっていません。自分の「目的」が変わっただけ。
・人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけだすことができる、きわめて身勝手な生き物なのです。
・アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態をさして、「人生の嘘」と呼びました。
・いま自分が置かれている状況、その責任を誰かに転嫁する。他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げている。
・あなたが人生のタスクを回避し、人生の嘘にすがっていたとしても、それはあなたが「悪」に染まっているからではない。道徳的価値観から糾弾されるべき問題ではなく、ただ「勇気」の問題なのです。
・フロイト的な原因論は「所有の心理学」であり、やがて決定論に行き着く。アドラー心理学は「使用の心理学」であり、決めるのはあなたなのです。
・われわれ人間は、原因論的なトラウマに翻弄されるほど脆弱な存在ではありません。目的論の立場に立って、自らの人生を、自らのライフスタイルを、自分の手で選ぶのです。われわれには、その力があります。
・適切な行動をとったり、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動はしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイル。
・他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。
・承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。
・もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのでない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすためにいきているのではない」。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。
・大切なのは、子どもが窮地に陥ったとき、素直に親に相談しようと思えるか、普段からそれだけの信頼関係を築けているか。
・子どもとの関係に悩んでいる親は、「子どもこそ我が人生」だと考えてしまいがち。要するに、子どもの課題までも自分の課題だと思って抱え込んでいる。いつも子どものことばかり考えて、気がついたときには人生から「わたし」が消えている。しかし、どれだけ子どもの課題を背負い込んだところで、こどもは独立した個人です。親の思い通りになるものではありません。
・「他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない」たとえ我が子であっても、親の期待を満たすために生きているのではないのです。
・むしろ距離が近い家族だからこと、もっと意識的に課題を分離していく必要があります。
・相手を信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどのように動くかは、他者の課題なのです。
・たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。
・上司がどれだけ理不尽な怒りをぶつけてこようと、それは「わたし」の課題ではない。理不尽なる感情は、上司自身が始末するべき課題である。すり寄る必要もないし、自分を曲げてまで頭を下げる必要はない。わたしのなすべきことは、自らの人生に嘘をつくことなく、自らの課題に立ち向かうこと。
・まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。どこまでが、自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。
・他者がわたしをどう思うのか、わたしに対してどのような評価を下すか、それは他者の課題であって、わたしにはどうすることもできない。わたしはただ、自らの人生に嘘をつくことなく、やるべきことをやるだけである。
・紀元前4世紀に活躍したマケドニアの国王アレクサンドロス大王がペルシア領のリュディアに遠征したとき、かつての国王、ゴルディオスによって神殿の支柱に固く結びつけられた戦車がまつってあり、「この結び目を解いた者がアジアの王になる」という伝説があった。腕に覚えのある多くの者が挑んだが、誰にも結び目は解けなかった。アレクサンドロス大王は、結び目が固いと見るや、短剣を取り出して一刀両断に断ち切ってしまった。
彼は、「運命とは、伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣によって切り拓くものだ」と言った。一般に「ゴルディオスの結び目」として知られる有名な逸話。このように、複雑に絡み合った結び目、つまり対人関係における「しがらみ」は、もはや従来的な方法で解きほぐすのではなく、なにかまったく新しい手段で断ち切らなければなりません。
・親が子どものことをずっと叱ってばかりいては、心が遠く離れてしまう。子どもは親に相談することができなくなり、親のほうも適切な援助ができなくなるでしょう。差し伸べれば手が届く、けれど相手の領域には踏み込まない。そんな適度な距離を保つことが大切。
・子どもがなかなか靴のひもを結べずにいる。忙しい母親からすると、結べるまで待つよりも自分が結んだほうが早い。でも、それは介入であり、子どもの課題を取り上げてしまっている。介入が繰り返された結果、子どもはなにも学ばなくなり、人生のタスクに立ち向かう勇気がくじかれることになる。「困難に直面することを教えられなかった子どもたちは、あらゆる困難を避けようとするだろう」
・周りに10人の他者がいたら、嫌われたくないとの一心から、10人全員に忠誠を誓う。これはちょうどポピュリズムに陥った政治家のようなもので、できないことまで「できる」と約束したり、取れない責任まで引き受けたりしてしまうことになる。無論、その嘘はほどなく発覚してしまう。そして、信用を失い、自らの人生をより苦しいものとしてしまう。
・他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方。
・あなたのことをよく思わない人がいても、それはあなたの課題ではない。そしてまた、「自分のことを好きになるべきだ」「これだけ尽くしているのだから、好きにならないのはおかしい」と考えるのも、相手の課題に介入した見返り的な発想。
・嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由。
・「馬を水辺に連れていく」ところまでの努力はする。しかし、そこで水を呑むか呑まないかは、その人の課題なのです。
・幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。
・他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚という。
・他者はどれだけ自分に注目し、自分のことをどう評価しているのか? どれだけ自分の欲求を満たしてくれるのか? こうした承認欲求にとらわれている人は、他者を見ているようでいて、実際には自分のことしか見ていない。他者への関心を失い、「わたし」にしか関心がない。すなわち、自己中心的。
・自分の人生における主人公は「わたし」である。しかし、「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部。
・自分にしか関心を持たない人は、自分が世界の中心にいると考えてしまう。こうしたひとたちにとっての他者とは、「わたしのためになにかをしてくれる人」でしかない。みんなわたしのために動くべき存在であり、わたしの気持ちを最優先に考えるべきだと、半ば本気で思っている。
・われわれが対人関係の中で困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則。
・ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれている。夕食の準備を手伝ってくれた子どもに対して「お手伝い、えらいわね」とほめる母親がいる。しかし、夫が同じことをして、さすがに「えらいわね」とは言わない。
・人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」。そこには感謝も尊敬も存在しない。
・われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作。アドラー心理学が賞罰教育を強く否定しているのは、それが子どもを操作するためだから。
・子どもが勉強すること。これは子どもが自ら解決すべき課題であって、親や教師が肩代わりできるものではない。介入とは、こうした他者の課題に土足で踏み込み、「勉強しなさい」とか「あの大学を受けなさい」と指示すること。
・援助とは、大前提に課題の分離があり、横の関係がある。勉強は子どもの課題であると、理解した上で、できることを考える。勉強しなさいと上から命令するのではなく、本人に「自分は勉強ができるのだ」と自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かっていけるように働きかける。
・横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいる。
・ほめてもらうことが目的になってしまうと、結局は他者の価値観に合わせた生き方を選ぶことになる。
・仕事を手伝ってくれたパートナーに「ありがとう」と、感謝の言葉を伝える。あるいは「うれしい」と素直な喜びを伝える。「助かったよ」とお礼の言葉を伝える。これが横の関係に基づく勇気づけのアプローチ。
・ほめられるということは、他者から「よい」と評価を受けている。そして、その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは他者の物差し。ほめてもらうことを望むのなら、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキをかけるしかない。一方、「ありがとう」は評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知る。
・「人は、自分に価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」
・わたしは共同体にとって有益なのだと思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。共同体、つまり他者に働きかけ、わたしは誰かの役に立っていると思えること。他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。
・われわれは「ここに存在している」というだけで、すでに他者の役に立っているのだし、価値がある。たとえば、あなたのお母さまが交通事故に遭われたとしましょう。意識不明の重体で、命さえ危ぶまれる状態だと。このとき、あなたはお母さまが「なにをしたか」など考えません。生きているだけで嬉しい。今日の命がつながってくれただけで嬉しい、と感じるはずです。
・われわれは他者を見るとき、ともすれば「自分にとっての理想像」を勝手にこしらえ、そこから引き算するように評価してしまうものです。
・ありのままのわが子を誰とも比べることなく、ありのままに見て、そこにいてくれることを喜び、感謝していく。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。そうすれば「存在」そのものに声をかけることができるはずです。
・引きこもりの子どもが、食後の洗い物を手伝ってくれた。素直にありがとうと声をかけることができれば、子どもは自らの価値を実感し、新しい一歩を踏み出すかもしれない。しかし、そんなことはいいから学校に行きなさいと言ってしまうのは、理想の子ども像から引き算していることになり、子どもの勇気をくじく結果になってしまう。
・ひとりであれば、誰もが王のように振る舞える。「無邪気な自分」がいないのではなく、ただ人前でそれができないというだけ。
・自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけること。
・自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくこと。
・われわれは「なにが与えられているか」について、変えることはできない。しかし、「与えられたものをどう使うか」については、自分の力によって変えていくことができる。
・あきらめという言葉には、元来「明らかに見る」という意味がある。物事の真理をしっかり見定めること。それが「あきらめ」。
・信用とは条件付きの話。英語で言うところのクレジット。銀行でお金を借りようとすれば、担保が必要になる。「あなたが返済してくれるなら貸す」「あなたが返済可能な分だけ貸す」という態度は、信頼しているのではありません。信用です。
・他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないこと。たとえ信用に足るだけの客観的根拠がなかろうと、信じる。担保のことなど考えずに、無条件に信じる。それが信頼です。
・裏切られることもあります。借金の保証人がそうであるように、こちらが損害を被ることもあるでしょう。それでもなお、信じ続ける態度を信頼と呼ぶのです。
・あなたから裏切られてもなお、無条件に信じ続けてくれる人がいる。どんな仕打ちを受けても、信頼してくれる人がいる。そんな人に対して、あなたは何度も背信行為を働くことができますか?
・信頼の対義語は、懐疑。あなたが疑いの目を向けていることは、相手も瞬時に察知します。「この人はわたしのことを信頼していない」と、直感的に理解します。そこからなにかしらの前向きな関係が築けると思いますか? われわれは無条件の信頼を置くからこそ、深い関係が築けるのです。
・裏切るか裏切らないかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題です。あなたはただ「わたしがどうするか」だけを考えればいいのです。「相手が裏切らないのなら、わたしも与えましょう」というのは、担保や条件に基づく信用の関係でしかありません。
・課題の分離ができるようになると人生は驚くほどシンプルな姿を取り戻します。もっとも、課題の分離という原理原則を理解することは容易であっても、実践するのは難しい。
・たとえ家族から「ありがとう」と言われなくても食器を片付けながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。
・「自立すること」と「わたしには能力がある、という意識」は、自己受容に関する話。「社会と調和して暮らせること」と「人々はわたしの仲間である、という意識」は、他者信頼につながり、他者貢献につながっていく。
・ユダヤ教の教えに「10人の人がいるなら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。そして10人のうち2人は、互いにすべてを受け入れあえる親友になれる。残りの7人は、そのどちらでもない」。このとき、あなたはあなたを嫌う1人に注目するのか。それともあなたのことが大好きな2人にフォーカスを当てるのか。あるいはその他大勢である7人に注目するのか。人生の調和を欠いた人は、嫌いな1人だけを見て「世界」を判断してしまう。
・人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないこと。
・「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値あることを実感させてくれる。
・他者貢献とは、目に見える貢献でなくともかまわない。
・貢献感を得るための手段が「他者から承認されること」になってしまうと、結局は他者の望みどおりの人生を歩まざるをえない。承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。われわれは自由を選びながら、なおかつ幸福をめざす存在。
・自分が劇場の舞台に立っている姿を想像してください。会場全体に蛍光灯がついていれば、客席の一番奥まで見渡せるでしょう。しかし、自分に強烈なスポットライトがあたっていれば、最前列さえ見えなくなるはずです。われわれの人生も全く同じです。人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこと、過去や未来が見えるような気がしてしまう。しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。
・われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが「いま、ここ」を真剣に生きておらず、うすらぼんやりとした光の中で生きている証です。
・人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来をみることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、みらいがどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
・人生を物語りに見立てることはおもしろい作業でしょう。ところが、物語の先には「ぼんやりとしたこれから」が見えてしまいます。しかも、その物語に沿った生を送ろうとするのです。わたしの人生はこうだから、そのとおりに生きる以外にない、悪いのはわたしではなく、過去であり、環境なのだと。ここで持ち出される過去は、まさしく免罪符であり、人生の嘘にほかなりません。しかし、人生とは点の連続であり、連続する刹那である。そのことが理解できれば、もはや物語は必要なくなるでしょう。
・「いま、ここ」にスポットライトを当てるというのは、いまできることを真剣かつ丁寧にやっていくことです。
・人生のおける最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。あなたはこれまで、「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。
・旅人が北極星を頼りに旅するように、われわれの人生にも「導きの星」が必要になる。この指針さえ見失わなければいいのだ、こちらの方向に向かって進んでいれば幸福があるのだ、という巨大な理想になります。その星の名は「他者貢献!」。
・あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
・誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ!他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく!
2014/09/05
2014/09/03
紙の手帳をやめる
長期のスケジュールや年間目標の管理などで紙の手帳も必要と思っていたが、Evernoteを見直してみて不要に思えてきた。
とりあえず、手帳に書いていることを、Evernoteに転記しはじめた。
今年の残りはこれでいってみよう。
スケジュールは、もともとGoogle カレンダーを使っているから、予定管理はできていた。
ToDo管理も読書リストもやりたい事リストも Evernote でできそうなので、さっそくノートを作って試行開始。
問題は、iPhoneなど使えない時に見ることができないこと。
それでいつでもどこでも必ず見ることができる手帳を買った。
クラウド上のどこに保存するかを決めておけば、必要な時に、必要なものだけを加工してプリントアウトして、いつも携帯している超メモ術で活用しているA6ノートに貼り付ければいい。
会社のスケジュールもグループウェアで管理し、今月、来月分を印刷してノートに貼り付けている。
A6ノートに貼り付けやすいようにする方法もある。
集約印刷を使う。
集約印刷を使う。
A4サイズに4ページ分を集約して印刷する設定にすれば、1ページ分がA6サイズになる。
字が小さくなりすぎるなら2ページ分に集約印刷すればいい。
A6ノートに見開きで貼ることができる。
なるべく手荷物は少ないほうがいい。
財布もなくしたいくらいだ。
とりあえず、手帳に書いていることを、Evernoteに転記しはじめた。
今年の残りはこれでいってみよう。
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