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(2014/11/15 14:17時点) 感想(5件) |
・「芸ごとのコツというものは、師匠から教えてもらうものではない。ぬすむものだ」というのである。教える側よりも習う側に、それだけの積極的意欲がなくては、なにごとも上達するものではない、という意味であろう。
・受け身では学問はできない。学問は自分がするものであって、誰かに教えてもらうものではない。
・先生が教えすぎて、学生は、教えてもらうことに慣れて、自ら学ぶことを知らない、ということになってしまう。
・知識は教えるけれど、知識の獲得の仕方はあまり教えてくれない。
・なんべんも同じことを「発見」してしまうという、「発見の手帳」における失敗の経験が、かえって逆に「発見の手帳」の有効性を教えてくれている。
・「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるものである。たとえば宇宙線のような、天体のどこかから降り注いでくる見えない粒子の一つが、私に当たって、脳を貫通すると、そのとき一つの「発見」がうまれるのだ。
・「発見」は、できることなら即刻その場で文章にしてしまう。もし、できない場合には、その文章の「見出し」だけでも、その場で書く。あとで時間を見つけて、その内容を肉付けして、文章を完成する。
・「発見」には、いつでも多少とも感動がともなっているものだ。その感動がさめやらぬうちに、文章にしてしまわなければ、永久に書けなくなってしまうものである。
・「発見」はまったく突然にやってくるので、その記録装置としての手帳は、いつでも身につけていなければならない。
・忘れるために書く。書いたら忘れてしまっていい。次に見るときには、その内容については、きれいさっぱり忘れているもの、というつもりで書く。
・「知的生産の技術」としての読書は、読みっぱなしにせず、ノートを付ける。内容はなんでもいい。全体の要約を作るのもいいだろう。感想や批評をしるすのもいい。
・読み終わったら、読みながら鉛筆で印を付けたところをもう一度目を通しながら、なぜ最初に読んだとき印を付けたのかをあらためて考えてみる。本当に残しておく値打ちがあるものだけノートにとる。
・一度読んだ後、積読しておき、数日後、または数週間後に目を通してもいい。読んだ直後の生々しさが薄れて、本の見方がずっと冷静になる。その段階で、ノートにつける。
・本に線を引くのはあきらかに二つの系列がある。第一の系列は、「大事なところ」であり、第二の系列は、「面白いところ」である。
・「大事なところ」というのは、その本を理解する上で、カギになるようなところか、あるいは、著者の考えがはっきり現れているところなどである。
・「面白いところ」というのは、場合によっては著者が気がつかずに書いているような事柄で、非常に面白く思って、線を引く場合が少なくない。その面白さはまさに、「私にとって」の面白さである。
・私が読書ノートに書くのは、著者にとって「大事な」ところではなく、私にとって「面白い」事柄だけだ。線を引くときに、なにがひらめいたのかを、極めて簡単に、欄外に記入しておく。
・記憶というものは、ほんとに当てにならないものである。どんなに記憶力の優れた人でも、時間とともにその記憶はたちまち色あせて、変形し、分解し、消滅してゆくものなのである。
・物事は、記憶せずに記録する。はじめから、記憶しようという努力はあきらめて、なるだけこまめに記録を取ることに努力する。これは、科学者とは限らず、知的生産に携わるものの、基本的な心得であろう。
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