それは少なくともなにかを実行しようとするためではないのか。
書物には昔のことが書かれている。
だが、現実に行動するのは今なのである。
その今と昔とは決して同じではない。
とすれば、今やろうとすること、
本に書いてあることとはひとつひとつ符合するはずがない。
それが一致しなければ、当然いろいろな疑問が生ずるはずである。
そうなれば、その疑問を解き、自分で悟るには時間が必要なのだ。
そして、その間にお互いに質問しあうことは、当然すぎるほど当然ではないか。
「1858年6月23日 吉田松陰『諸生に示す』より」
読書はただ読んで知識を吸収すればいいのではなく、必ず実践することが大切だと。
目的意識を持って読み、実践、実行してみる。
読んだとおりにならないのが当然でその違いをよく考えなさいと。
そして、同じように読書仲間がいれば、意見交換や議論ができる。
吉田松陰の読書に対する素晴らしい考え方を中公クラシックスの講孟余話で見つけることができて嬉しい。